2007年7月 2日 (月)

地震の思い出

あの日の朝、それは何の前触れのなく、突然やってきました。

まず、ズーンという軋むような音がしまして、耳がツーンとしました。

そして、徐に身体が沈んで、次に持ち上げられました。俗に言う、『縦揺れ』です。

これを何回か繰り返し、その後は、まるでジェットコースターに乗っているような感じでした。

後から思えば決して長い時間続いたわけではありませんが、あのときは永遠に続くのではないかと思いました。

揺れている間は、「金縛り」にでもあったように、まるで身動きが出来ませんでした。

頭から布団を被って、揺れが収まるまで、ジッと身を硬くしていました。

いろいろなものが落ちて壊れました。

ローボードの上に置いてあるものも落ちました。

ガラスの割れる音がして、ハッと我に返りました。

熱帯魚を飼っている水槽が割れる音だと直感的に悟りました。

ここから、ダンナの魚命救助が始まったのでした。

以下、明日に続く。

2007年7月 1日 (日)

熱帯魚の思い出

昨日、予告しておりましたので、熱帯魚を飼っていた頃の思い出をつづらせていただきます。

10年一昔と云いますが、ちょうど13年前の夏、ダンナの転勤で広島から大阪へ引っ越しました。

そのとき、ちょっと前からダンナが飼い始めていた熱帯魚も、新幹線で一緒に移動し、大阪のホテルで一泊しました。

ダンナは荷物は持たず、幼い子供たちの面倒も見ず、熱帯魚のお世話に一生懸命でした。

やれ水温が、やれ酸素が、やれ水質が、と大騒ぎしておりました。

この夏は異常なくらい暑い日が続き、熱帯魚なんだから暑ければご機嫌だろうと思ったりしますが、やはり適温というのがあるようなのです。また、魚の種類によって、この「適温」が違うようなのです。

魚は水中に溶け込んだ酸素を吸っているので、水中ポンプで酸素を水中に送ってやるわけですが、ダンナはコンセント式のしか持っておらず、新幹線の中であわてていました。

水も、水道水にはカルキ抜きをしなければそのまま使えないとか、軟水だ硬水だとか、酸性水にしなければとか、ブツブツ云っていました。

そんなに苦労して、一緒に大阪に連れていった熱帯魚たちも、その翌年1995年1月17日に起こった、あの『阪神淡路大震災』(神戸大地震)で死んでしまいました。

その顛末は、また明日。

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